4 感情の取り扱い
ここでは、内観の基本でありながら、日々を生きる上で重要なスキルでもある「感情の取り扱い」について説明します。
ここで説明する、「感情のルール」と「感情の感じ切り」に関しては、文章で読むだけでは理解が難しい部分があります。
以下のHPで無料の2つの動画『感情の取り扱いNG集(適切な取り扱いについて説明したもの)』『ネガティブ感情の手放し方(感じ切りについて説明したもの)』が見られますので是非参考にしてください。
感情の大前提:自分の意志ではコントロールできない
まず、感情を取り扱う前に、知っていただきたい【大前提】をご説明しましょう。それは、「感情は自分の意志でコントロールできない」ということです。
感情とはそもそも、『外界の刺激に対して、自分の気持ちがどう動くか』という生理的反応です。例えば、チョコレートを舌の上に載せると「甘い」と感じるようなもの。自分の気持ちがどう反応するかということは、意志の力ではコントロールしようがないのです。
チョコレートを食べた時に「これを酸っぱいと感じなければダメだ」「苦いと感じられない自分はダメだ」等とは思いませんよね。しかし、感情や思いを『コントロール』できるものだと思っている方は、それと同じようなことを日常的にしています。
そして、感情と人格を紐づけて「お世話になった人なのに、こんなことを考えてはダメだ」「こんな気持ちになる自分は、心が狭い」などと評価して自分を傷つけていることが多いのですね。
人の感情は、多くが適応や動物的な本能によるものです。例えば、不安は危機を察知するために、怒りは大切なものを守るためなどに起きます。また、「自分だけ得したい」「人より優れていると思いたい」などの『醜いと思える感情』も、生存確率を上げたり、あるいは、自分の遺伝子を残すために必要だと、意志ではなく本能が判断しているものによるのです。
ですから、「感情は本来コントロールできるものではない」ということと「感情は人格とは関係ない」ということを覚えておいてください。
なお、多くの人が『感情をコントロールしなければ』と誤解して行っている『コントロール』は、『無理矢理呑み込む』というものがほとんどです。我慢については、一時的なものなら良いですが、我慢したまま押し込めてしまうと、非常に弊害が多いのでお勧めできません。その理由はこの前提に基づいた、以下の3つのルールにあります。
ルール1:感情には善悪はない
人間の視点で見ると、つい「いい感情、悪い感情」と分けて考えてしまいがちですが、実は感情そのものには善悪がありません。
本人にとって心地いいものや都合のいいものを「良い感情」とたまたま呼んでいるだけで、どんな感情にも優劣はなく、また、いいところも悪いところも含まれるものです。
例えば、「感謝されて嬉しい」という『ポジティブな』感情があったとしましょう。しかし、この感情に固執すると「もっと感謝されたい」という執着になったり、あるいは、感謝してもらえないと「どうしてもっと感謝してくれないのか」という怒りになったりもします。
また、逆に「あの人が憎い」という『ネガティブな』感情についても同様で、「本当は大好きだから、裏切られたと感じて憎い」という好きの裏返しであったり、「あの人がうらやましい」という憧れや賞賛の気持ちから生まれている場合もあるのです。
ですから、自分の中に浮かぶものを「いい感情、悪い感情」と捉えることはせず、「どれも必要だから生まれてきた、水泡のようなもの」という感覚で捉えるといいでしょう。
感情に優劣をつけたり、「これは嫌、これはOK」というように仕分けると、自分に対して「ありのままのことを感じたらダメだよ」という強い自己否定のメッセージになりやすいのです。
また、ブロックを解除しようとしている際は、「どうしても人は、善悪で判断してしまいやすいのだ」というルールを意識しながら、「これはポジティブ感情だと思っているけど、実は逆になってるんじゃないのかな?」とか「これはネガティブ感情だと思って、自分のことを責めていないかな」というように、上手に利用するのもいいかもしれません。
ルール2:感じ切ると消える
感情は「感じ切ると消える」…逆に言えば「感じ切らないとずっと残る」というルールがあります。これはネガティブな感情だけでなく、ポジティブな感情も同様です。
つい人は「ネガティブ感情だけ手放したい。ポジティブな感情は残しておきたい」と考えてしまいがちなのですが、実はそれはあまりメリットがありません。なぜなら、ネガティブ感情は残ると「恨み」になりますが、ポジティブ感情は「執着」になります。執着とは、もっと欲しいと感じたり、過去の栄光にしがみついたりすること。どちらも先に進むための障壁になるからです。
感じ切るということが必ずしも正しいわけではありません。しかし感情を抱えるほどに、人は複雑になっていき、また、その保持に大量のエネルギーを要してしまうのです。「未来にフォーカスしたい」と思うなら、感情はしっかり感じ切って都度手放すことをお勧めします。
実際、未消化の感情やブロックを多く持っている人は、そもそも「先に進みたくないと強く思っているために、感情やブロックで適当な理由をつけて自分を足止めしている」という場合があります。こういった場合は、ひとつひとつのブロックの内容はある種「どうでもよい」のです。ですから、ブロックの内容に固執しすぎることなく、手放しを行いたいときには、『自分は本当はどうしたいのか』を一番に考えておこうようにするとよいでしょう。
<コラム>ブロックがあっても幸せには生きられる
内観では「ブロックを手放す」ことを前提とした話をすることが多いため、「ブロックがあるのはいけないこと」「ブロックがあるのは自分の責任で生きていないからNG」と解釈する方も多いです。しかしそれは誤解です。
そもそも、ブロックがあるというのは「その場の安全圏から出るべきではない」と自分が判断していたということ。ですから、そのルールを変える必要がなければそれでよいのです。安全圏の範囲でも楽しく生きる方法はあるもの。「もしそこから出たければ、ブロックを手放せば、比較的負担が少なくそこから抜けられる」というだけなのです。
ただし、ブロックを手放した場合の「楽しさ」と、ブロックがある状態の「楽しさ」とは、「楽しさ」の質がかなり異なります。
ブロックを手放すことを続けた場合は、「自分の責任は自分が取らなくちゃいけない厳しさとリスクがあるけれど、自分の生身の感覚でのびのび生きられる、できないことをできるようにする喜びがある。怖いし恐ろしいけれど、やりがいはある」という感じです。
対して、ブロックに囲まれた状態での幸せは「いつも漠然とした不安や疲れがある。だけどおなじみの悩みや同じようなことに追われていればそれでいい。自分の頭で考えなくてもいいし、人のせいにして生きていける。時間を稼いでいればいい。辛い辛いと言いながら、なんだかんだそういう自分が好き」という感じです。
これに関しては、繰り返しになりますが、どちらがいいということはありません。ラーメンとカレー、どちらが好きか?という好みの問題ですから、優劣もありませんし、各自好きなほうを選べばよいのです。どちらの人生も、たくさんのものに守られて、非常に豊かなものですし、そこでしかわからない学びがあるからです。
ただ、一つ理解していただきたいのは、「どちらの選択にも、メリットとデメリットがある」ということなのです。自由には責任が伴いますし、変化には離別が伴います。「100%自分の満足が行くことだけが起こるという選択肢」はありませんから、よく理解したうえで進んでいくのがいいのではと思います。
ルール3:押し込めると、同じような出来事を引き寄せる
では次に、感じ切ってもらえなかった感情はどうなるのかというお話をします。
そのような感情は、「自分から見えないところ(潜在意識)」に押し込められるのですが、押し込められることでかえって「消化してもらおう」として暴れ、同じような感情を味わうようなエピソードを人生に呼びこむのです。
この内容については、詳しくは、こちらの章(ブロックの成り立ち)で説明していますので、参照してください。
感情との付き合い方:感情を感じ切る
さて、これらの前提やルールを踏まえると、望ましい感情の付き合い方とは以下の通りです。
【感情との理想の付き合い方】
・自分の感情は生まれるままに任せる(※注)
・自分の感情に対して、優劣や善悪のジャッジをなるべくしない。
・感情は「感じ切って」なるべく手放すようにするとよい。
※注:生まれるままに任せるとは、人にぶつけてよいという意味ではありません。感情はいきなり相手にぶつけるとトラブルになることが多いため、お勧めできません。ネガティブ感情を感じた時には、一度その場から離れて、一人で整理するのが望ましいです。
では、実際に「感じ切る」といっても、どのようにすればしっかりと消化できるのでしょうか。
感じ切るためのコツは3つあります。
【感じきりのコツ】
①「100%自分の味方になって感じきる」
②「相手の都合を考えるのはその後で」
③「安全な場所で行うこと」
続いてはそのやり方をご説明していきましょう。
①「100%自分の味方になって感じきる」
まずは①「100%自分の味方になって感じきる」ということです。
人は、自分の感情を、理由をつけてセーブしようとしてしまうものです。例えば、「自分に非がある」「相手にも都合があるし、悪気はなかったはずだ」「こんなこと感じても何の足しにもならないから、ポジティブなこと考えよう!」という気持ちが浮かぶことも多いでしょう。しかし、そういった『思考』は一旦無視して、『感情のみ』で「相手を100%悪いもの」として感じきるのが大切です。
ここではイメージで行うとやりやすいですから、実際にこんな想像をしてみましょう。体験によって傷ついたその時の自分を思い出し、その自分を「泣いている小さな子供」に置き換えてみます。そして、その子供が傷ついて泣いている原因になった相手に対して、過保護な親になったつもりで「うちの可愛い○○ちゃんを泣かせるとは、何事だ!」と相手に食って掛かるような感じです。
例えば、ここで「実はいたずらをしたのは子供のほうで、相手はただ普通に注意しただけ」という場合でも、100%子供の味方になりきって怒る、というのが非常に大事です。言いがかりのような形でもいいですし、むしろ、それくらいのほうが望ましいです。なぜならここでは「理屈に合っているか」どうかよりも、「その子が正しいと信じる」「世界中を敵に回しても自分だけはその子の味方である」というような姿勢そのものが大切だからです。
<コラム>「嫌い」も「好き」も本物
感じ切りの際に、ネガティブ感情を扱うことを多くの人がためらう理由に「大切な人へのネガティブ感情を感じてしまうと、その人のことを嫌いになってしまうんじゃないか」あるいは「好きだと思っていたけれど本当は嫌いだったということが明らかになるんじゃないか」という恐れがあります。
結論から言いますと、『本当に好きならば、ネガティブ感情を手放すことで、なお関係が深くなり一層愛情が感じられる』ようになります。
前者の場合ですが、人は、大事な人ほど向き合うことや感じ切ることを恐れます。例えば、「大事な人へのネガティブ感情」を例えるなら『95%くらいは好きだけど、4~5%のモヤつきがある』みたいなイメージとして考えてみてください。
多くの方は「4~5%にフォーカスした結果、95%は実は偽物でした!」という答えになるのではということを本能的に恐れます。しかし、そうではなくて、実際には「4~5%のモヤモヤから目を背けているために、せっかくの本物の愛である95%のことも、内心疑っている」という状況なのです。
人は自分の愛を疑うとき、後ろめたい思いや罪悪感を感じます。人は後ろめたさがあると、どれだけ相手のためにやっても「でも自分には下心があるから」という理由をつけてしまい、相手のためにやったことを「正当な真心」として換算しなくなります。その結果、尽くしてもなんだか埋まらないし、尽くさないとさらにやるべきことをしてないような、そんな気持ちになったり、あるいは相手のためになにかしようとすることそのものを放棄します。
そして、相手から真っすぐな愛を向けられると「自分の愛は本物でないので、こんなものはもらえない」とどこかで受け取り拒否をしてしまうのです。
せっかく95%は愛なのに不純物があると、人は100%に疑いを持ってしまい、せっかく関係性の中で愛を送りあっても、今一つ感じあうことができない支障になるわけです。
そういうわけで、ここでは、「大好きも95%あって本物、だけど、それとは別に、支障になっているものも5%あって、それを手放せば、95%がもっと広がり深くなる」というような気持ちで、感じ切りを行うようにしてください。
なお、「好きだと思っていたけれど本当は嫌いだったということが明らかになるんじゃないか」という恐れについては、そういうことが起こることも確かにあります。ただ、適切に手放すと、そのことに対して罪悪感や余計なしがらみ(※そもそもこの部分を引き起こしているのが、「手放されていない感情」であるため)がなくなり「なんだ、そうだったんだ、今までありがとう」というように、さっぱりと手放せるようになります。
ちなみに、ここでは、愛を95%という例で話しましたが、実体としてはどれだけ不純物が混ざっていようとそこに1%でも愛があれば、実はその部分もまた本物です。人は「白か黒か」でつい判別しようとしてしまいますが、矛盾するものがそのまま齟齬なく存在するのが潜在意識の世界でもあるのです。
ここでさらに解説を加えますが、ここでの「泣いている子供」というのは、言ってみれば「潜在意識の中にいる癒えていない自分の一部」なのです。
ネガティブ感情を感じ切らないということは、痛みを感じて泣いているのに、親には「いつまで泣いてるんだ」とか「泣いててもしょうがないから我慢しなさい」と言われてしまうようなもの。だからその子は「自分は大切にされていない」「自分はこんなこと感じちゃいけないんだ」「自分が痛がると迷惑をかけるんだ」「自分よりも周りの都合優先なんだ」などとと感じてしまうわけです。
つまり、自分が自分に対して感情に蓋をすることを何度もしていると「自分対自分への『大切にされてない』『自分は後回しだ』」という強い暗示になるために、自尊心が下がってしまうのです。逆にどんな感情に対しても「よしよし、わかったよ」「そうだよね、痛いよね」と寄り添うことができれば自分対自分への信頼感が非常に増していくのです。そうすると、実際に子供の訴えを聞いてあげなくても、その気持ちを受け止めるだけで、感情が消化されてくれることも多いものです(例えば「相手を殺してしまいたい!」という気持ちが湧いてきたときにも、「じゃあ殺そうか」とするのではなくて、「よしよし、殺してやりたいくらいの気持ちになったってことだね」と共感するだけでいい、ということです)。
言語的にうまく寄り添えないという場合は、子供のために、相手を追い返したり、やっつけてあげる(バッドなどで殴るなど)の想像をしてもいいでしょう。ここで、「暴力的な想像はちょっと…」と抵抗を覚える方もいますが、あくまで『相手を恨んだり傷つける目的ではなくて、自分自身の中の衝動を解消するため』という趣旨を意図して行えば大丈夫です。実際に行動を起こすと問題になることが多いことも、イメージの中では自由です。むしろ、「こんなことをしてはいけないのではないか」ということほど、しっかりと安全な環境で行うようにすれば、きちんと解消されていきます。
ここではまず「保護者のつもりで」とご説明しましたが、そのうちに当事者になって、今目の前で起こっていることのようなつもりになって、真剣に、本気で感じます。
例えば怒りであれば、文句を言ったり、地団駄を踏んだり、不満を口に出したり、新聞紙などを破いたりなどしてもよいです。紙に書きなぐったり、カラオケボックスなどに行って、怒りに任せて大声を出して歌ったり、ゴロゴロと転がったり、激しい有酸素運動をしたり、サンドバックなどを殴ったりなどするのもいいでしょう。体で表明するほうが効率的に発散されていきます。ポイントは、「聞き分けのいい大人はやめて、2~3歳児のように怒る」ということです。2~3歳児で、エネルギーの大きな子は、人目をはばからずに「ヤダヤダ」と寝転がって暴れたり、「おもちゃを買ってくれないとイヤだ」とわがままを言ったりしますが、あのイメージです。一旦後先は忘れ、恥ずかしさもわきに置いて、子供に戻ったつもりで、感情に徹することができれば、非常に良いでしょう。
なかなかそこまでできないときには、クッションなどの安全なものを殴ったり、文句を書きなぐったりと、可能な範囲で体を動かしながら行ってください。
感じ切っている渦中は苦しいものです。怒りが出てくるとどんどん怒りが出てきて収拾がつかなくなる…という方もいるのですが、一定以上超えるときちんと発散され、どんどんと下り坂になっていきます。ですから、「上り坂(怒りがどんどんヒートアップしているとき)」にはなるべく辞めないようにしてください。行き場のなくなった怒りが、その後の生活で爆発する(例えば人に当たり散らすなど)があるからです。
そのうちに涙が出たり、すっきり感が出てきます。すると、だんだん「どうでもいいや」「別に大したことなかった気がする」と心底思えるような、スッキリ感が出てきたら、しっかりと手放せている証拠です。
一人でチャレンジする時にはなかなかそこまではできないかもしれません。ですが、少しでもすっきりしていたり、やる前と後で感覚が変わっていれば、きちんと手放せていますので、できる範囲で試してみてください。
<コラム>感じ切るつもりになれないときは
この「感じ切り」の中で、ここで注意していただきたいのが「怒る気になれない」という場合です。「理不尽なことをされたと頭ではわかるが、他人事のように感じられて何の感情もわかない」ということもあるでしょう。
あるいは「自分の中の子供が泣いていて、聞いてあげたほうがいいのはわかっている。だけど、どうしても優しくする気になれない」という場合もあると思います。にもかかわらず、無理矢理「あなたの味方だよ」「わかったよ」と肯定しようとすると、今度は、「顕在意識(この感情の感じ切りをやろうとしている、思考の部分)のあなた」が感情を抑圧することになりますし、「子供の自分」は表面的な寄り添いをすぐに見抜き、さらに関係が悪化するということもあるので、どうぞ無理に行わないようにしてください。
うまく寄り添う気持ちになれないとか、また子どもに意見を聞こうとしても話してくれないなどという場合は、その感情を感じ切るために支障になっているブロックが存在することが多いです。
そのような場合は、「子供の自分」「それを慰めようとする親の自分」の他に、もう一人の「中立の自分」を作ってみるといいでしょう。
そして「中立の自分」がそれぞれの言い分を聞いて回るつもりで、どんなことを感じているかを書き出してみます。「子の自分」は「これが嫌だった」「なんでこうしてくれないんだ」と感じているでしょうし、「親の自分」はおそらく「こんな子はめんどくさい」「受け入れたくない」と思っているはずです。それが出てこないときには「どうして言いたくないのかな」と、それぞれをインタビューしてみるような視点で、理由を探ってみましょう。
何か聞き出すことができたのであれば、その発言内容から、ブロックを取り出して手放す(手順参照)ということを試してみてください。
②相手の都合を考えるのはその後で!
前の項でも触れましたが、感じ切りは「自分のことに集中して感じることそのもの」が目的です。相手の都合や今度どうするかなどの物理的なことを「思考する」のはその後に回してください。
感じ切りのポイントは
出来事が起きる→感じる→自分以外のことを考える
という手順で行うことです。
思考を先に行うと、自然と感情をセーブする方向に走ってしまいますので、手順を間違えないようにしてください。
③安全な場所で行うこと
ここでは「感情を感じきる」という話をしましたが、これはあくまで「自分で自分の気持ちを把握して消化するための作業」であって、「ネガティブ感情を相手にぶつける」という意味では決してありません。
例えば、怒りを感じるようなことが起きた場合でも、その場ですぐに表明しないほうがいいという時も多々あるはずですから、いったんその場はやり過ごし、安全な場所を作って、しっかり感じる時間をとるといいでしょう。
安全な場所を作るためには、「時間、人、場所」をしっかり確保してください。
①時間:
感情を感じるための時間を最低でも20分以上は確保してください。隙間の空き時間などに行おうとすると、「自分のことを片手間にされている」という気持ちが自分対自分に生まれます。「自分を大切にするための時間や手間をかけてくれている」ということだけでも、自分の感情はかなり喜んでくれますので、ダメージを感じた時やモヤモヤがあるときには、しっかりと時間はとるようにしましょう。
②「人」:
基本的には一人で行うのが望ましいです。
どうしても誰かと一緒に行いたいという際の注意は「少しでもネガティブな意見を言ったり、アドバイスなどはしないで、ただ聞くだけに徹してください」とお願いすることです。というのも、感情の感じ切りは「問題解決」ではなくて、「時間をかけて感じることそのもの」が目的だからで、そのためには何かの評価やアドバイスは妨げになることが多いからです。
しかし、なかなか友達や家族などの身近な人だと、これを行うのはなかなか難しいものですので、信頼できるプロのセラピストやカウンセラーなどに協力してもらうのが望ましいです。
③「場所」:
感情が高ぶって泣いたり大声を出したりしても大丈夫な場所であり、かつ、関係する人が来ない場所であることが望ましいでしょう。
例えば『家族との間に起きたことについて自宅で感じ切りをしていたら、その家族が帰ってきて、その感情が抑えらずに、そのまま相手にぶつけてしまった』…というような話もよくあります。ですから、そのような場合は『相手が来ない場所』『しばらく戻ってこない時間帯』をしっかり確保しましょう。
<コラム>上下関係があるときは手放せていない
人はつい、自分にできた出来事を腑に落とそうとするとき、「あの人なりに頑張っていたんだし、まあ起こったことはしょうがない」というように“大人”のような立場を取ろうとすることがあります。しかし、これは実は適切な「受け入れ」ではありません。
なぜかというと、「自分のほうが我慢してあげた、合わせてあげた、許してあげた」というように、『受け入れてあげた自分のほうが上で相手は下(あるいはその逆で、相手が上なので、下の自分が従わざるを得なかった)』という形で『関係に上下』ができているからです。
正しい形で手放しが行われると、関係に上下や、そこに「合わせてあげた」という感覚が生まれることはありません。どちらにとっても完璧に必要で、合意の上で行われていたという感覚になるのです。